親父(進)は新潟の五泉市(現在)で生まれたらしい 祖父の樋口新太郎の職業は聞いていない
新太郎が亡くなってからおばあちゃん(ふ志)が福山林之助と再婚し親父は福山の養子となり改姓
福山林之助は台湾に渡り警察官となったか渡る前から警察官であったかは知らないけどとにかく警察官
昔は貧乏人で優秀な者は士官学校か師範学校に行ったらしい(給料が出た)親父は台湾第二師範学校に進学して
教師となった 教師は戦争の最前線には送られなかったようで伍長として食糧運搬のような任務に就いたらしい
裕福な家庭の子弟で優秀な者は旧制中学から旧制高校そして大学への進学した 母方の輝夫伯父さんは
旧制台北高校を卒業したそうだ 終戦後おばあちゃん(ふ志)は兄(冨吉?)を頼って安城に引き揚げてきた
母方のおじいちゃん(冨山光太郎)は台湾の新竹で木材業をやっていて昭和13年に桐材の売買を行う
台湾桐材合資会社を資本金2万円で設立した記録が残っている(現在のお金で6千万円くらい)
マッチの箱の製造をやっていた記録もあり 以前従兄弟に聞いた話では新竹に新聞社を作ったそうで「やり手」だったらしい
母(静子)は女学校時代に成績優秀者で本土から宮様が視察に来た時にお茶で接待する係を振袖姿で
やったという話を聞いている おばあちゃん(夏世)は明治の女学生として小倉高等女学校に
行っていたらしいので多分裕福な家庭の優秀な娘だったと思う 数学の先生だったという話を
聞いたことがあるけど真偽は不明(公子伯母さんに聞けばもっと詳しく分かるかな?)



























まり子、公子、祐子、清一叔父さん、親父、隆巳さん






