Safracin Bの全合成

Safracin Bは1983年に吉富製薬(後に田辺三菱製薬に吸収合併され現在は田辺ファーマ)で単離構造決定された抗生物質で抗腫瘍活性も示すが薬にはなっていない。Saframycin Aに近い構造を有しており、ecteinascidin 743の合成ルート開発にも寄与すると思い、中国生まれで香港育ちのMui Cheungに全合成を始めてもらった。確かFlorida A&M University卒で、それほどアカデミック界では名の知られたところではなかったので、なんでわざわざ香港の高校からそこに留学したのか聞いた事があった。彼女曰く、ここなら3年で卒業できると思ったから、というのが記憶に残っている(実際3年で卒業してライス大学の大学院に入学)。頭も良く、腕も良い優秀な学生だったが、ソフトボールはやった事が無かったのか、私とキャッチボールをしたらグローブでなく顔で受けて?しばらく顔面に黒いアザが残ってしまった(そのうち消えたけど)。私がライス大学から東大に移る時に同僚のMarco Ciufoliniに彼女の面倒を見てもらうことにした。日本に到着した後にMuiから論文の原稿が送られてきたが、かなり直さないといけないと思いつつ、後回し、後回しにしていたらもう論文を出すのが面倒くさくなってそのまま今日に至ったという、彼女の顔をまともに見られない為体である。Muiはさらにthiangazoleというtantazole系の化合物の全合成も達成したが、基本的にはtantazole Bの全合成ルートを踏襲しているので、まあ論文を出すほどでもないか、とボツにしてしまった。こんな酷いボスの下で可哀想なMuiはよく頑張ったな、と思う。ただ、彼女はノシル基の開発に関しては大きな貢献をしたので、まあ勘弁してくれと、か細い声でささやいている。なおMuiは現在GSK (GlaxoSmithKline) Pharmaceutical CompanyのVice President, Global Discovery Chemistryとなって米国の製薬業界で活躍しているので遠巻きながら応援している。(この項を書き終えてからMuiに謝罪のメールを送ったところ明るく許してもらったことを記しておきます)

Mui Cheung, Ph.D. Dissertation, Rice University, 1997. (The total synthesis of safracin B was completed in 1994.) ChungKuang Jow made a great contribution to this synthesis. I would like to take this opportunity to apologize deeply to Drs. Mui Cheung and ChungKuang Jow for not publishing this interesting work.

Safracin Bの全合成の特徴としては、出発物がL-チロシンであることと、アミノニトリルでPictet-Spengler反応を行っているが、側鎖のβ配置をうまくコントロール出来たことだろう。逆合成解析をザックリとやってみると、まず (1-1) の反応性の高いキノンは合成終盤に構築すべきで芳香環として安定化させておく。ヘミアミナールは最も不安定な官能基であるので安定なアミノニトリルにしておく。もちろん、側鎖のアラニンも終盤に導入するので、まず (1-2) に導いておく。次にアミノニトリルでのPictet-Spengler反応をやってみたいので (1-3) が重要中間体となる。(1-3) の左環のフェノールはオルト位とパラ位にメトキシ基が存在するのでアルデヒド導入後にBaeyer-Villiger反応で容易に得られる。そしてアミノニトリルはラクタムの還元とNaCN処理で得られるので (2-3) を合成すればよい。側鎖の立体化学は還元反応を利用して制御し、ビシクロ[3.3.1]系アシルイミニウム塩経由で構築するとなれば (2-2) のような中間体となり、これはsaframycin Bの全合成で考案した経路を利用すれば良いので (2-1) をまず合成することにした。
L-チロシン (1-1) から4段階で (1-2) が得られるが、Muiの博士論文には文献が入れてあるだけなので実際にどういう条件だったかは定かでない。といっても失敗するのが困難なほどの反応なのでここでは説明を省く。芳香環に結合したアルデヒドは接触還元の条件でメチル基まで還元できる。飽和アルデヒドはアルコールで止まってしまう。芳香環にMeO基が存在しているのでFriedel-Crafts型の反応でアルデヒドをオルト位に導入できる。得られたアルデヒド (1-3) をMCPBAでBaeyer-Villiger酸化し、生じたフェノールの蟻酸エステルをEt3NーMeOHで加メタノール分解して (2-1).を得た。次に臭素を作用させるとフェノールのパラ位にBr基が導入される。次にメタノール中塩酸で加熱する位ことでアセチル基が外れてアミン (2-2) が得られる。ここでアミンをBoc化してからメチルエステルを加水分解してカルボン酸 (2-3) を得た。
ニトリルほどではないがイソニトリルもα位のプロトンは酸性があり、アルキルリチウムなどの強塩基で脱プロトン化される。Cinnamyl isocyanide (1-1) を–78 °Cでn-BuLiと反応させるとほぼ瞬時に脱プロトン化され、そこにアルデヒドを加えると直ちに付加が起こる。この反応液に希塩酸を加えて加熱しアミノアルコールのジアステレオマー混合物 (1-2) を得た。(1-2) とカルボン酸 (1-3) をDCCで縮合させ、水酸基をアセチル化してアミド (1-4) を得た。(1-4) のオレフィンをオゾン分解してアルデヒドにし、DBUで酢酸を脱離後に弱アルカリ性でフェノールのアセテートを外して (2-1) を得た。これをTFA/benzene中で加熱するとビシクロ[3.3.1]体 (2-2) が高収率で得られた。なお、言い忘れたがフェノールのパラ位にBr基を入れてあるのはオルト位より反応性が高いためで、それをブロックするための常套手段である。
前段階の酸性条件でBoc基が外れてしまったので、酸性条件に強いTroc基で保護して (1-2) を得た。エナミド (1-2) の接触還元はRaneyニッケル触媒を用いても高温高圧が必要で、なかなか難しい反応だったが、酸性条件で使えるNaBH3CNを醋酸中TFAも加えて加熱することで非常に高収率で望む還元体 (1-3) が得られることが分かった。還元はビシクロ系のexo側から起きる。(1-3) のフェノールを頑丈なメシレートにしてからFriedel-Crafts反応でアルデヒド (2-1) を得た。このアルデヒドを常法によりフェノール (2-2) に変換する事ができた。
(1-1) のTroc基 (-COOCH2CCl3) を亜鉛還元で外してから還元的メチル化でN-メチルアミン (1-2) に変換した。(1-2) の脱ブロモ化は立体障害のため通常のPd/Cよりは強力なPd(OH)2/C (Pearlman’s catalyst) を使って高圧水素下で行って (2-1) を得た。ラクタム (2-1) はDIBALを使って還元したがヘミアミナールは不安定だったのでNaCN/MeOHで非常に安定なアミノニトリル (2-2) に変換して単離した。
アミノニトリル (1-1) のCSA存在下でのPictet-Spengler反応はsaframycin Aの全合成でも試みたことがなかったが、実際にやってみると側鎖がα配置の生成物のみか主生成物となったので使い物にならないと最初は思っていた。
ところがシンナムアルデヒド (1-2) を用いたところ、側鎖がα配置の生成物 (1-3) が加熱を続行することで徐々に望むβ配置の化合物 (2-1) に異性化していくことが分かった。そこでヘミアミナールが生成しないようにTMSCNを入れて100 °Cで6時間加熱したところ (2-1) がほぼ単一のエピマーとして62%の収率で得られた。おそらく(2-2) のような共役系の伸びた安定なquinone methideを介して平衡が成立したと考えている。
(1-1) には二重結合が存在しているために切断してアミンに変換する事ができる。まずフェノールをベンジルエーテルに変換してから触媒量のOsO4とNMO (N-methylmorpholine N-oxide) を用いてジオール (1-2) を得た。このジオール化の方法はアメリカのUpjohn(後にPfizerに吸収される)のプロセス化学者が大量のステロイドをジオール化するために開発した(私は昔Upjohnのコンサルタントをやっていた)。このジオールは過ヨウ素酸を使って容易にアルデヒドに変換することができたが、還元的アミノ化でアミンに変換することはうまくいかなかった。仕方ないのでNaBH4で還元してアルコール (2-1) として単離した。次に (2-1) の水酸基をメシル化し、DMF中でNaN3と加熱することによりアジド (2-2) に変換する事ができた。
フェノールのメシル基は頑丈で使い勝手が良いが、加水分解は比較的強いアルカリ条件を使うので頭に入れておく必要がある。ここでも (1-1) のメシレートをNaOH/MeOHで還流して外したが、条件が強いので念のためにNaCNを共存させてアミノニトリルが分解しないようにした。得られたフェノールをBoc化して (1-2) を得た。次に (1-2) のアジドを亜鉛-醋酸/Et2Oで還元し、得られたアミンとBoc-L-alanineをDCCを使って縮合して (2-1) が得られた。(2-1) のベンジル基をPd/Cで加水素分解した。フェノールのベンジルエーテルの加水素分解は非常に簡単だが、脂肪族アルコールのベンジルエーテルの加水素分解は時としてPd/Cでは困難になることもあるので別法も準備しておかなければならない。得られたフェノールはパラ位にMeO基が存在しているのでCAN (ceric ammonium nitrate) で容易に酸化されてキノン (2-2) が得られた。
アミノニトリル (1-1) は含水アセトニトリル中で硝酸銀を作用させることでヘミアミナール (1-2) に変換することができる。最後にTFAを使って2つのBoc基を外し、さらに固体の重曹を使ってフリーのアミンにして (–)-safracin Bの全合成が完了した。天然物との直接比較は出来なかったが、報告されている全てのスペクトルデータと旋光度が一致した。